プロフィール

  1962年(昭和37年)、福岡県北九州に生まれ育ち、法律家を目指して上京し専修大学で法律を学ぶも、止むに止まれぬ事情により結婚し中途退学。富士重工業の三鷹エンジン製造工場で1年間の期間工として、週替わり日勤夜勤交替の厳しい仕事で稼ぎ、それ以降は自動車関連業界で遮二無二必死で働き、二児を育てました。

 40代で独立起業した後に突然襲われたリーマンショック後の無茶な働き方がたたって体調を崩し、仕事を離れました。3ヶ月間療養した後、警備員として夜間働きながら電気工事士、ボイラー技士、冷凍機取扱者など様々な資格を取得し、1年でビル設備管理職に就きました。

  収入のない療養中の国保料未納により、業者を使った川崎市の理不尽な差押えで行政の横暴を経験した後、原発・電力政策、再生エネルギー賦課金の電気料金上乗せ、消費税増税とセットの法人税・富裕層所得税の減税、集団的自衛権容認、特定秘密保護法・安保法制・共謀罪の成立、国保料引上げ、年金給付減額等々、日本の21世紀の政治に疑問と怒りを持ち、国会前デモに度々参加して来ました。
 一方で、2011年の東日本大震災以降は人口の首都圏一極集中に危機感を持ったため、子ども達が独立した時期に、夫婦での地方移住を決意しました。

 1年後に上田市の初代「地域おこし協力隊」募集にて豊殿地域担当として採用され、2015年8月に夫婦で川崎市から上田市への移住を実現しました。
  着任した「稲倉の棚田」では、棚田に観光バスが毎日来場することを夢見つつ、地域の皆さまとほとんど休みなく働きながら、「酒米オーナー制」や「映像・写真を駆使したインターネット広報活動」、「お田植えまつり・稲刈りまつり」など独自のアイデアを形にしていきました。すると2018年秋から観光ツアーバスが棚田に立寄り始め、2019年には春から秋まで毎日観光バスが来場し、稲倉の棚田は年間2万人を超える観光客や1千人もの農作業体験学習の学徒、100組400人もの棚田オーナーが訪れる上田の新名所となりました。そして、いつしか私は上田が大好きになっていました。

  一方で5人いた同期の隊員が上田市に絶望して次々と辞任する中、粘り強く市と折衝を続けて制度改革に挑み、初代協力隊員では任期3年をただ一人満了し、離任隊員が大きく減った今の上田市地域おこし協力隊の制度運用に至りますが、制度改革は途に就いたばかりです。

 そんな中で出会い、多くのアドバイスを頂いた元市職員、元市議会議員である金井忠一氏の、市政、県政、国政、医療・介護・また貧困などの困窮者救護、そして戦争反対、核兵器反対等に対する熱意に触れ、また市民や市職員の彼への信頼の厚さを見るにつけ、市民生活に直結する「政治の重要性」への思いを突き動かされて来ました。

 そして2021年春、私を受け入れ支えて下さった上田市民の暮らし向上に役立つことを誓って、上田市議会議員選挙への出馬を決意いたしました。

略歴

1962年 福岡県北九州市に誕生
1978年 福岡県立八幡高等学校 普通科に入学
1982年 私立 専修大学 法学部法律学科 入学
1985年 同退学、富士重工業に期間工で入社
1986年 ㈱リンドバーグに店長職で入社
1992年 楽座㈱に営業職で入社
1996年 ㈱ディーズクラブに編集職で入社
2006年 独立開業し、第一フェーズ㈱の販売代理店となる
2008年 ㈱クジ精機製作所に営業職で入社
2010年 病気療養の後、㈱ハリマビステムに警備職で入社
2011年 東京美装㈱にビル設備管理職で入社
2015年 上田市地域おこし協力隊 豊殿地域担当として「稲倉の棚田」に着任
2018年 豊殿地域住民とNPO法人まちもりを開業し理事長に就任
2018年 上田市地域おこし協力隊 任期満了
2021年 NPO法人まちもりの副理事長に就任